渓 流 随 想 (三十九)


大 倉 川   定義温泉

その温泉は宮城県青葉区、前記三十八話「涼しい橋」と
同じ大倉川の流域にある。

オフシーズンの今、読書の秋そのままに本を読んで暇を
つぶそうかと思いついた。そうはいっても読書家でない私
が取り出したのは「秘酒と渓流魚を求めて」、なる釣りの
本でした。

各地の地酒・銘酒を訪ね、渓流魚を追う旅のエッセイ集の
ような本。あれが旨い・こんなときはこっちが合うとか、岩
魚が釣れたとか釣れなかったとか。
私には酒は無用で、肝心な時に川の名がイニシャルってる
のが不満にも思えたり。

その中に大倉川水系に岩魚を求め、「岩魚の供養に定義
如来を拝んでみるか」更に「定義温泉でひとっ風呂あびて」
というのがあった。
これを読んで、私は「温泉は駄目だろうな」と予想した。


二人連れの釣り人が車を止めて温泉の玄関に向かったが、
二階から和服姿の女性に呼び止められる。
「予約の方しか入れないもので」
「遠方から来たのですが」
「決まりになっておりますので」
くいさがったが、結局ことわられてしまった。
との事,
やっぱりね。
何故やっぱり、なのか。

実は今期の解禁前の事、「川筋物語」という本に出遭ってい
た。
釣りの話ではないが、川にまつわる旅の短編集である。
川そのものより付近の集落や山の逸話だったりもするが、し
っかりした取材のもとに書かれ感心した。
その本の目次に「定義」というのがあって、真っ先にそのペー
ジを開いたのである。

ある夫婦が山形へ向かう途中で「定義如来」の看板に興味
を持ち立ち寄ることになった。
如来さんが親しまれているが、浄土宗の極楽山西方寺が正
式名称である。この寺に祈願すれば一生に一度の大願が成
就する、といわれている。
定義(じょうげ)は、ここも平家の落人伝説が残っている土地
で、訓読みでは「さだよし」、平貞能の名に由来しているとの
事。
参拝のあと、妻が「「ここには温泉はないの」と呟いた。
門前のそば屋に入って店のおかみに訪ねる。
3キロほども登った山中に定義温泉があるけれど「一般客は
歓迎せんし、予約なしでは温泉に入るだけでも無理だべな」
との返事だった。
しかし落胆した様子が気の毒だったのだろう温泉に電話をか
けてくれた。
「わざわざ訪ねてくれたって・・・、一泊だけでもなんとか」。
しかし、なんともならなかった。
という事だったのを、読んで気になっていたのでした。

この二冊の話だけで終わると、この「定義温泉」なるものが非
常に冷たい温泉と思われる。そんな冷たい湯になんぞ浸かっ
てやるもんか!、と思われるに違いない。

が・・・私の体験談。


1976年、渓流釣り二年目の8月1日。

今はもう消えうせてしまったヤマメの宝庫へ釣りに行く、
ひとり東京から電車で仙台へ、バスを乗り継いで定義如来
に行きついた。
如来さんからは歩きで大倉川へ、釣りあがって十里平へ
一日ヤマメと遊んだ。その日は如来さんまでは戻らず、定
義温泉に泊まるべく夕方の林道をテクテクと。

温泉に着いて玄関で声をかけると、出て来た人が怪訝な
顔をして「予約は?」とたずねられてしまった。
「予約の方しかお泊めしない」と言う。
「釣りに来て十里平から歩いて来ました」、外はもう薄暗く
それが味方をしてくれたのだろう。
「おや・・んじゃ、・・・どうぞ」
思い出しても確かに「仕方なく」、ではあった。

其のことが印象に残っているが、思い出せるのは玄関先
での事だけで内部や温泉じたいのことはまるで忘れてし
まっている。

大山女魚に遭遇
その昔、定義上流十里平の良型山女
定義温泉の、何かしらの事情を知らぬまま歳月が流れてい
た。

「川筋物語」によると、その温泉は
「逆上(のぼせ)引き下げの湯」として古くから知られる精神病
に特効のある温泉、なのだとか。
いわゆる、「あ〜いい湯だな」とお気楽にパチャパチャとする
温泉ではないらしいと知った。
たまたま読んだ二冊の本に書かれていたくらいだから、他に
も断られた旅人が釣り人がいるに違いない。

以前に書いた「特集記」の項「大倉川」を読み直すと
宿を定義温泉に求めて歩いて行く、本来は予約が必要だった
らしいが「歩いて来てしまった」ので何とか泊めてもらえた。
とだけ書いている。

古い釣りノートを探し出して見ると、2食付4,000円と記して
あった。時代だなー、私が泊めていただいてから29年、もうそ
んなに昔の事なのかと今更ながら・・・。
再び訪れてみたいもの、と思うがしかし。
予約無しでの挑戦なら、徒歩での夕まずめに限る。

記-2005/11/22

追伸:Wikipedia によると2011年に廃業されたとの事。

関連  随想:十里平涼しい橋     不思議: 大倉川最上流

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