渓 流 随 想 (三十八)
大 倉 川 涼 し い 橋
仙台十里平 定義森林軌道
その橋は宮城県にある、何の情報も無く地図を頼りに 行き着いた十里平の美しい渓流に架かっていた。 1975年に初めて訪れた。 古い林道に踏み込むと渓流は崖に囲まれていて降り ることは出来ない、草の生えた道をたどって深い森を 進んで行く。 急に明るくなると同時に沢音が大きくなって古い木の 橋に出た、隙間だらけだがしっかりした木橋が対岸へ 誘う(いざなう)ように。 |
。 | 床板が隙間だらけの橋を渡り、少し登って渓へ降りる と九月の太陽が照り付けていた。 結局は釣れずに橋まで戻って来ると汗びっしょり、しか し橋の上に立てば上流からなんとも心地よい風が吹き 抜ける。 隙間だらけの佇まいと上流からの風、涼しい橋と呼ぶ ことにした。 隙間から見える青く澄んだ流れを眺めていると、そこ へ山から女性が一人下りてきたのだ。 手ぬぐいを形よく頭に巻き、肩の籠に山菜らしきもの、 右手には紫の花を一掴み持っている。 その姿から近くに住む人と解り、こちらから挨拶した。 「こんにちは」と応え、慣れた様子で涼しい橋を渡って 帰る。 なにかしら、涼しげな姿が印象的だった。 |
一旦車に戻り、日が傾きかけてから橋の手前の堰堤 で良型の山女魚が釣れた。25cmと27cmもある太 い山女魚に初めて遭遇したのだ、渓流一年目三十歳 の事である。 翌年も同じ時期に訪れる、また山女魚に逢いたいし上 流には岩魚も居るに違いないと。 その日もあの涼しい橋を渡って上流を目指した、しか し林道は崖崩れで使えない。 渓流を行くが小石のザラ場が続いてポイントは見当た らない、その内に雨が降り出してあえなく撤退すること になってしまった。 涼しい橋に戻った頃には雨は上がっていたが、釣りは 明日の山女魚に託すことにしよう。 夕食はインスタントラーメンだが、車止めには水場が無 いので水を求めて下流へ移動する。 |
すぐに民家があって庭先の蛇口がチョロチョロと流した ままになっていた、山からの引き水なのだろう。 「すいません、お水もらっていいでしょうか」 返事を待たずにボトルを蛇口に宛がうと、ボトルを通し て水の冷たさが沁みてきた。 開けっ放しの玄関から 「どーぞ」・・・ 「魚釣りですか」 と、出てきたのは昨年「涼しい橋」で出逢った女性だっ た。 「ええ、山女魚が釣れました・・岩魚はそうとう奥です かね」 「サア、どうだか・・・山で泊まるんですか?」 「そうです、朝早くに釣りたいので」 そうゆう釣り人を見かけているのだろか。 「うちで泊まってもいいですよ、どうぞ」 「イエイエ慣れてますから、有難うございました」 親切な言葉に恐縮してしまった。 涼しい橋の方へ戻りながら頬がゆるんでいるのが解る 、上流から爽やかな風が吹いて来るような気がして。 |
。 | 2ヶ月後にもすっかり気に入った山女魚の宝庫へ、ひ とり出かけていた。 「涼しい橋」よりもずっと下流から釣り上がる、綺麗な ヤマメだが小型の放流サイズのみである。 そのまま上流へ向かうとあの家の前を通ることに成っ た、その事を意識した訳ではないのだが。 庭の畑の手入れをしているのがあの人とすぐに分かり 「こんにちは」 「あれ、こんにちは」 「また水もらいます」 「岩魚はどうでした?」 「なかなか行き着けないですね」 少し話しをし、お礼を言って「涼しい橋」へ向かう。 その日は下流の温泉に泊ったのだが、何かしら気分 の良い一日ではあった。 後で気が付いたが、東北なまりは無かったような。 |
さて、翌年も山女魚の宝庫へ。 しかし五月のこの日は雪しろ増水にあたってしまい、 そそくさと退散となる。 「あの橋」にも当然あの家にも立ち寄ることはなく、気 の抜けた無駄な遠征になってしまった。 その八月には早朝に「橋」を渡り、上流の岩魚を目指 して登った。 ザラ場を越えて渓流らしきにたどり付いたものの岩魚 には遭えず、緑の大自然だけを満喫して戻ってきた。 帰り道にあの「家」に水をもらいに車を止めたのだが、 庭先に男の人が立っている。 「すいません、お水を少し」 「ハーどんぞ」 「前にももらいました、奥さんでしたか・・・」 「ソーケー、・・・」 何か言いかけたようだったが・・・。 |
翌年は山女魚の型が悪くなり、釣り場を休ませる気に なった。 他の釣り人に出会った事がないから自分のせいかも知 れないと、反省したのである。 二年後、サクラマスかというような大山女魚をバラシてし まう。 岩魚の存在も不明のまま、あきらめ状態で涼しい橋に も逢わなくなっていた。 来るたびにあの「家」の前をも通るのだが、人を見かけ ることがなくなっていた。 そして九年後、久しぶりの山女魚の宝庫はすっかり埋ま ってしまい、まるで別の川である。 勿論魚の影もなかった。 そしてあの家も、跡形も無くなって整地されていた。 涼しい橋を見に行くと更に床板が剥がれ落ち、それこそ 涼しげな姿がそこにあった。 |
2002年涼しい橋の現況 (Buroranさん写)
それから十五年、最初の訪れから27年が過ぎている。 自分の頭にも白いものが目立ってしまった。 宮城県在住のBuroranさんが「特集−大倉川」を読んで 写真を送ってくれた、 あの橋、現在、人が渡るのは不可能だとか。 記-2003/1/6 関連記 事随想39 定義温泉 渓の不思議」 大倉川最上流 追伸: 廃線レポ 定義森林軌道 補完レポ 2006年 サイト「山いが」ヨッキさん 橋梁レポ 定義森林軌道 再訪2015年 補完レポには 「宮城県にお住まいの川釣り師TENさまより、」 とあるが実際は東京から定義へ釣りにかよっていたの です、宮城のフライマンHiroさんが私の「涼しい橋」をヨ ッキさんに教えたのでした。 |