渓 流 随 想 (二)
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登川 民宿食堂 上越-魚野川支流

「そうだ!おばちゃんの所へ行ってみよう」6年ぶりの民宿食
堂へ。
1987年、正月に一人で越後中里へスキーに行ったのだが、
仲間が居ないと、登って滑る・登って滑る・登って・・・疲れる。
昼食をとって帰ることにしたが急に思い立った、ここからなら
一時間もかからない。

1976年9月末(そもそも)
最初の上越-登川は、釣を始めて2年目。

「上野発の夜行列車付いた時から越後六日町は闇の中」
タクシー に「登川を入れる所まで入ってください」とお願いし
たが、清水の民宿村を過ぎて人家が無くなると降ろされた。
 
懐中電灯を頼りに林道へ入る、そして夜が明けた。寂しげだ
った沢音も今は心地よく響いて、胸のときめく第一投。

だが釣れない!

四時間以上も釣り上がったが釣れなかった、とぼとぼ・とぼ と
1時間以上歩いてへ引き返すのでありました。


民宿食堂の看板が目に入ったので声をかけると、「ちょうど今
山菜ラーメンを作っているところだけど」と、おばちゃん
が出て
きた。ラーメンを食べながら釣れなかった事を話すと、

「家の前降りていったら居るがネ」と。
「餌ならその畑にメメズも居るがネ」と、

おまけにメメズを掘ってくれて、そして釣れたのだ。

       [川原に四匹のイワナ]

わずかの間に四匹、小型のイワナだが、初心者の身には嬉
しい出来事であった。

来年も又「行かないわけにいかんがネ」。

翌77年、今度は民宿村よりもかなり下流から入渓するも
たり無く、道路に上がると後ろから軽トラが来て止まった。

おじさんが「村まで行くなら乗んなせー」有りがたく乗せてもら
う、「今日は泊りかネ」「ええ予約してます」、「〜ん」


この叔父さんも民宿をやっていて、予定が無ければ
「泊って
もらおうと思ったのだろう」たぶん。

ところが軽トラが止まったのは「民宿食堂」の前、
「あんた誰か乗せてきたの・アレ○○さん」とおばちゃんだ。
そこの旦那さんだったのだ。

こんな事は今のような「車で直行釣り」では、到底ありえない
出来事だもんネ。
釣果の方はおばちゃんに教えてもらった割
引の沢で
25cmと22cmのイワナをゲット。
来年も又「行かないわけにいかんがネ」。

その翌78年、79年もイワナを二匹。

そして81年、珍しく真夏に突然訪ねると、巻機山の登山客で
満員というときに出くわした。


他に宿を探そうと思ったが、大丈夫だと言う。どうなるのかと
思っていたら、
中学生の娘さんの部屋をあけてくれたのだ。
そして晩の食事も、朝食も満員の登山客をよそに家族と一
緒に頂いたのでした。


特別待遇のような民宿食堂だったのだが、付近の渓はおお
むね
探り終えたので行かなくなってしまった。

       [逆光に光る登川中流の落ち込み]
                 (登川中流)

そして(文頭の)6年ぶりの民宿食堂、
「こんにちわ、○○です久しぶり」
「あれまー」 おばちゃんだ
上がりこんでお茶をいただく。
「○○さんは釣りの時だけだったかいネ」
私「そう今日はスキーだけど」、みかんをいただく。
「**の**さんと一緒の事は無かったかいネ」
私「**さんは知らないなー」、お菓子をいただく。
「暫らくだね、何年振りかいネ」
私「えーと、・6年振りかな」、お茶をいただく。
「この嫁が来る前だったんだネ」
若い女の人が赤ん坊を抱いていた。

暫らくして「又、釣りにくるから」と失礼した。帰り道、運転しな
がらさっきの会話を思い返している。なぜか会話を思い返し
ている。
そうか私を思い出せなかったのだ。
それでわかった、おばちゃんの会話はすべてこの男が誰で
あるかを考えている質問形だったのだ。

思えば無理も無い、民宿と食堂を営んでの6年間は想像を超
える出来事がありますよね。こちらは「てっきり覚えている」と
思いこんでいるから詳しい自己紹介をしなかっつたのがいけ
なかった。
おばちゃんにしてみれば、見知らぬ男が上がり込み、お茶菓
子を食らって帰ったに等しいのだ。

この例によると誰でも知らない民宿に懐かしげに上がりこみ、
お茶菓子などいただいて帰る事も可能となる。
どなたか試してみますか。

             
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