渓 流 随 想 (三十三)

的場川、全渓苔の谷

恐らく釣れないであろう事を覚悟の上で それでも、もう
一度探ってみたい川が鹿留川(随想25)なら。

恐らくは居ないであろう事を覚悟で訪れてみたいのが、
安達太良・的場川である。

的場川への入経路は解りにくかった、 塩川の右手に道
を探したり、ナビに映る女沼・男沼
の位置関係を間違え
たり。
行きつ戻りつで土湯付近に付いてから入渓出来
そうな所へ
車を止めるまで二時間近くも費やした。

今思い返しても何処を走ったのか どの辺りに車を止め
たのか判然としない。

更に渓まではかなりの距離と思われたのでカメラ携帯
を諦め、
歩き始めたものの道が不明瞭で途中からは
全くの藪こぎになってしまった。


1996年
9月18日夏の終わりは「つわものどもが夢の跡」 夏草
どもが大繁盛であった。


偶然撮っておいたが苔の話なので

更に一時間を費やして夏草どもから抜け出る、 そこに現
れたのは緑色の渓谷。
渓流に折り重なる石と岩すべて
が艶やかな苔に覆い尽く
されて居た。
しかしその水量は少なく、 したがって流れは透明で底ま
で見えぬところは無い。
魚が隠れているとも思えなかっ
たが深み毎に毛鉤を躍らせ、
誘いを掛けてみた。

魚の気配はないまま そうして暫く登ったが緑の渓谷はそ
のまま苔の谷、
日が当れば更に美しく岩魚が居れば金
色に輝くとは、さも有らん。

艶やかな苔に覆われた不可思議なる渓は 後にも先にも
唯一なりや。

だが悲しくも生きる物の気配は 終にぞあらむ、静寂のみ
ぞそにありける。

おかしな文章に成ってしまったが、これも的場川が
語らせているにほか成らず。

阿部武の著書、「東北の渓流」によれば 「飛び石には苔
があちらこちらついて美しい」
「金色の水を散らして金色
の岩魚が・・・」

この書に誘われて訪れたのだ。
初版はこの時から29年前の昭和42年、 今から34年前
の出版だから実際に的場で釣ったのは
40年前かもしれ
ない。


居るか居ないかとの話では時代が変わってしまっている、
その意味での情報としては古すぎよう。
語りも特徴的で不明な個所もあるが それがまた不思議
な魅力ではある。
良き時代の渓流釣りと温泉の読み物ではある。

そう・その時は時間が無かったので 言う所の「一旦水が
なくなり滝を越えて再び水の有る・・・」
この滝にさえ届か
なかった。

も一度緑の渓を見たい、空掘りを行きその滝を超えて
び水が出るのを見たい。魚が居ないのは覚悟のうえなら、
邪魔者にしかならぬ竿は置いて行こう。

五年前なれば緑の谷はまだ健在だろう、 歩くだけなら時
間はタップリあるから空滝の先へ行こう。

そうしてもし、もしもゆらりとするものが見えたなら ヤッタ
!と呟いて小さくガッツポーズだ。

そんな思いにさせる 的場川。
 
記2001 1/15

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