なぜ 「てんから」 なのか
なぜテンカラなのか−2 毛鉤で掛けると魚の口先に 掛る事がほとんどです、飲まれることが ほとんどなくなります。 手にした魚が元気だから放してあげようと いう気になる筈です。 ビクの中で弱って行くのを 待ちますか、弱らない内に「しめる」などと言って 自分で殺しますか。 食べたいものは買いましょう、遊び相手なら 元気にリリースしようではありませんか。 釣りは魚に対する一方的な戦線 釣り人は自分の失敗を勝手に負けと 称したりするが、山女魚には始めから勝ちなど有り得ない。 戦う気など全く無いのだし。 ならば幾らかでもハンデを付けるべきではないか、 当たり前の食物は使わないというハンデ。 釣りというのはどんな釣りでも 楽しい、餌でも何でも楽しいには違いない。 だが、テンカラである程度釣れるようになると (当たり前の)餌で沢山釣れても、それが楽しいとは思えなく なってくるものと感じている。その渓流に多くの岩魚が居る 事はとても嬉しい事だが、ある程度釣れたら「もういいか」 って気になってくる。 一匹毎のプロセスを楽しむ あの場所のあの岩魚に対応すべく毛鉤を 工夫する、あの流れとその流れでは使う毛鉤もアプローチも 違った楽しみ方がある。 同じようなポイントでも、その出方食い方は それぞれに違いがある。 同じ毛鉤でも浮かせる・流す・浅く・深く、そのプロセス を楽しめたら数多くなどは望まない。 そして大きさに関係無く逃がしてあげよう、 大切な遊び仲間だから。 2007. 11/6 . |