なぜ 「てんから」 なのか


なぜテンカラなのか−2

毛鉤で掛けると魚の口先に
掛る事がほとんどです、飲まれることが
ほとんどなくなります。
手にした魚が元気だから放してあげようと
いう気になる筈です。

ビクの中で弱って行くのを
待ちますか、弱らない内に「しめる」などと言って
自分で殺しますか。
食べたいものは買いましょう、遊び相手なら
元気にリリースしようではありませんか。

釣りは魚に対する一方的な戦線
釣り人は自分の失敗を勝手に負けと
称したりするが、山女魚には始めから勝ちなど有り得ない。
戦う気など全く無いのだし。
ならば幾らかでもハンデを付けるべきではないか、
当たり前の食物は使わないというハンデ。

釣りというのはどんな釣りでも
楽しい、餌でも何でも楽しいには違いない。
だが、テンカラである程度釣れるようになると
(当たり前の)餌で沢山釣れても、それが楽しいとは思えなく
なってくるものと感じている。その渓流に多くの岩魚が居る
事はとても嬉しい事だが、ある程度釣れたら「もういいか」
って気になってくる。

一匹毎のプロセスを楽しむ
あの場所のあの岩魚に対応すべく毛鉤を
工夫する、あの流れとその流れでは使う毛鉤もアプローチも
違った楽しみ方がある。
同じようなポイントでも、その出方食い方は
それぞれに違いがある。
同じ毛鉤でも浮かせる・流す・浅く・深く、そのプロセス
を楽しめたら数多くなどは望まない。

そして大きさに関係無く逃がしてあげよう、
大切な遊び仲間だから。

                        2007. 11/6                     .


なぜテンカラなのか−1


1998年「てんから一筋、90%リリース」を宣言
渓流釣り二十年を過ぎ、数を釣る気が薄れたのです。
それよりも「渓流釣りが出来る」その事に喜びをみつけました。
その日そのときの、一ッ匹ごとのプロセスを楽しむ気になったのです。
(チョッと遅かったかな)

そうなれば毛鉤は最高
餌を使わないというのは身軽で良い
勝負が早くて気持ちよい。
そして何より、あたった瞬間の手ごたえは餌では味わえないものがある。
同じ一匹でも餌に比べたら数倍も楽しい一匹なのだ。

何故FFでないの?

の答えは簡単、私の場合強度の近視だから
遠くへ飛ばすと毛鉤が見えないのです。
もうひとつ、イングリッシュがわかんない〜。

割り切ること
以前から糸をよってラインを作ったり、毛鉤を巻いたり
していたし実践もした。しかし反応がないとすぐに迷いが出てしまい
餌に変えてしまっていた。
釣りを始めて23年、やっとその迷いが消えました。

何ていうことはない
「釣れる魚が釣れれば良い・釣れない魚は釣れなくて良い」
と割り切る事。
「餌なら釣れるのに」と思う場面に出会うだろうが
逆に毛鉤ならではのポイントもあるのだから。
更に、出た魚が小型なら釣らずに場所を変えましょう。

こだわり
ヤッパリこだわりを持とう、餌の用意なんかしないで
毛鉤を巻こう。

そして又の巡り会いの為にリリースしよう、
誰かの為に自分の為に魚の為に放してあげよう。
渓流魚は大切な遊び友達なのだから。

釣りというのは自分の経験だけが頼りの自己満足の遊び、
これが基本だと思います。
仕掛けも釣り場も自分の工夫こそが
楽しみではないでしょうか。

                    1999 2/1                   .