よ み が え る 「 一 瞬 の 夏 」 2000.12/6    .


 今から16年前、1984年沢木耕太郎と言うルポライターが元東洋ミドル級
 チャンピオンカシアス内藤を題材に発表したのが「一瞬の夏」である。

 ルポルタージュは「カシアス内藤が4年振りに再起する」、という小さな新聞
 記事から始まる。<新田次郎文学賞、受賞>

 ボクシング好きだった私には、ファイティング原田や大場政男などの世界チ
 ャンピオンに劣らない、忘れがたいボクサーなのだ。

 
 

 「一瞬の夏」が世に出て三年後、
 ほとんど読書をしない私がその本と出会ったのは、部下であり遊び友達だ
 ったH君がそのルポルタージュを読んだからである。彼は世界タイトル位し
 かボクシングを見ないが、少なからず感銘を受けたようだった。

 「カシアス内藤ってしってます?」
 彼はルポルタージュで語られて知り得たボクサーの事を、ボクシング好き
 の私がどの程度知っているのか興味があっただろう。

 「知ってるよ、東洋チャンピオンまで行った混血のボクサーだ」
 「すごく上手くてね、ただもう少しでKO!と言うところで打つのを止めてし
 まうんだよ」

 「それさえなければ間違い無く、世界チャンピオンになっていたね」
 私がそう言うのを聞いて彼の背中に寒気が走ったという。

 ルポルタージュに書かれているボクサーの姿が、ボクシングファンの形容と
 一致するは当たり前なのだが、その当たり前がこの場合感動的なのだ。


 彼から借りた「一瞬の夏」は、アッという間に読み終えていた。



 ルポルタージュは単なる取材と人物描写では終わらなかった。
 アリの昔の名前「カシアス・クレイ」にちなんだリング名の是非、断然優勢で
 勝利した試合でなぜ詰めが甘いと非難されるのか、そして果たして勝つ事
 だけがすべてなのか。


 あの名トレーナーであるエディ・タウンゼントが「内藤はベストファイトをすれ
 ば世界チャンピオンになれる」と言い、トレーナーとしての夢の実現に向けて
 動き出す。そしてルポライター沢木氏自身もプロモーターとしてかかわる事
 に成る。
 それぞれがそれぞれの立場で奔走し、ときに行き違いながらも目標を目指
 す。


 「一瞬の夏」の最後、かかわったそれぞれには何が成し得たのか、戦うボク
 サーには何が残ったのか・・・。

 ところがその本を知人に又貸しして無くされてしまい、時々思い出しては気
 になっていた。それから十二~三年が過ぎていた。

 2000年の夏の終わり
 付けっぱなしのテレビからニュースが流れていた、
 聞くともなしに聞いていた耳に知っている名前が飛び込む。
 友人知人では無く昔のプロボクサーの名前、
 それは元東洋チャンピオン、カシアス内藤だった。


 その名前を聞いて「一瞬の夏」をもう一度読みたくなった。
 その本を借りたままに成っている彼も、ニュースでカシアス内藤の名を聞
 いて思い出しているかもしれない。

 近所の本屋へ行ったが無論在庫は無く、上・下巻2セットを取り寄せる。
 そして一セットを彼に送り届けた、 今更ながらそうせずに居られなかった、
 自分勝手なノスタルジーではあるのだが。

 そう、夏の終わりに飛び込んだニュースとは、

 「元プロボクシング東洋チャンピオン、カシアス内藤が市役所の職員に暴
 行逮捕された」 と言うものだった。

 普通に捕らえれば、ボクサー崩れが起こした有りがちな傷害事件”いや悪
 く捕らえればそう言う事なのだが。

 私にはそうは思えない、内藤純一はそんな男ではない。彼は優しい男な
 のだ、パンチを受けダメージにひるんだ相手にもう一発が打てなかった。
 再起を賭けた試合を目前にしていてさえ、生まれてくる子供と妻の為にト
 レーニングを裂いて、他の仕事を続けた男なのだ。>

 真相を探るのはやめよう、止まれぬ事情があって起こした事件のはずだ
 から。 知ったところで何も出来はしないのだ、彼を信じるだけだ。


            てん空 2000.12/6

谷村新司:チャンピオン
当時アリスのヒット曲ですが
 この曲は谷村新司が沢木耕太郎との
 雑誌対談でカシアス内藤を知り、彼を
 テーマに書き上げたものです。
 
 更に、デビュー30周年を迎えた02年
 に出したアルバム「半空」に50代のカ
 シアス内藤をテーマにした曲「クリムゾ
 ン」を収録、ステージでも歌っている。
←あとがき

情報を寄せてくれた
「シャネルズ」
さん、 
有難う御座いました

   「一瞬の夏」 をもう一度 2005.2/27  

  2月13日 テレビ覧のニュースに「一瞬の夏をもう一度」とあるのを 
 見つけ、用心の為タイマー録画をセットした。その時間は他に見る
 べきものも無かったのだが、絶対に見逃せないと思ったから。

 放送の内容はカシアス内藤と沢木耕太郎、それとカシアスを撮り続
 けていたカメラマン内藤利朗が「ボクシングジムを開設した」というも
 のだった。
 「一瞬の夏」から25年の歳月が流れていた事を知る。
 なにかしら嬉しかった、忘れかけていた落し物が見つかったようなそ
 んな気分かもしれない


 あの「一瞬の夏」に燃えた男たちは、果たして燃え尽きたのだろうか
 という忘れかけていた落し物は小さな棘となって残ったままだった
 ような気がする。

 プロボクシングとなれば勝つか負けるかは大きな問題であり、それ
 が全てともいえるかも知れない。そういう意味では燃え尽きようが、
 くすぶり続けようが一瞬の夏は終わったのかも知れない。
 しかし、番組の最後に内藤が言っていた。
 「ゴールはしたのだけど、その先に『何時かきっと』のコースがまだ
 あった」
 
 『何時かきっと』は「一瞬の夏」の男たちのキーワード、喉のガンを
 抱えてしまったカシアスは声を失う手術を避けて、若手ボクサーの
 育成に賭けるのだ。
 『何時かきっと』あつい「熱い夏」が男たちに訪れる事を祈る。

    てん空 2005.2/27